子育てならぬ、○○育て奮闘中
人は誰でも年を取り、嫌でも身体に変化が訪れます。
自分の親も、例に及ばず介護生活が始まりました。(父親85才、母親82才)
きっかけは、良くある ご飯食べた後ですぐに、いつご飯?と聞かれたり、自分に対して
お兄さん(父親の兄を指す)とか、お母さんは元気かな?(生きていれば130才)と
聞かれました。
老夫婦の二人暮らしでは、なんとなく生きていけるのですが、実家の近所の方から
最近おかしいなどと言われる事が有り、介護に対して向き合う事になりました。
包括支援センター、まずここに相談する事が第一歩でした。
行政からの補助を受けようと思うのなら、面倒でもここに相談します。
介護認定をもらい、ケアマネージャーと呼ばれる人と、今後の生活を考えていきます。
デイサービスの施設に通ったり、宅配弁当の手当てをしたり、週一回看護師の訪問を受けたり、階段やトイレには手すりを付けました。
出来るだけ二人暮らしを維持しながら生活出来る支援を考えました。
数か月後、母親がつまづいて骨折した事をきっかけに事態は進みました。
母親は地域の拠点病院に入院した後、リハビリ病院に入り、そのまま 老健(介護老人保健施設)に入所して今に至っています。
母親が家から去ると、残った父親は徘徊、記憶の錯綜が増え、急に怒りっぽくなったりしまして事件が増えました。
デイサービスから電話が入り、応急処置はしたが出血がひどかったので医者へ連れていって下さい、(身内しか病院へ連れていけないルールが有る)と言われ
仕事途中で行く事もしばし。 仕事終わりに急いで病院に連れていき、治療に当たらせる時期も有りました。
また、時間外に母親のいる施設に行き、警備の人を困らせた挙句に、警察の厄介になったり、交差点の中で、我を忘れて立ち止まったりしていた事も有ったそうです。
結局、父はベッドから落ちて動けない所を、宅配弁当の業者に助けられ入院する事になり母親とは別の老健施設に入り今に至っています。
困った事ばかりで非常に先が見えない毎日でしたが、何が一番助かったかというと、会社に予め状況を相談したら、可能な限り会社が柔軟に対応してくれた事です。
有給、半休、17時半になったらすぐに仕事を切り上げるなどさせて頂きました。
また父親を自宅で自分で何とかしようと考え、介護休暇を取ろうと考えた時でも、支援は可能と回答をもらえました。
今はその必要がなくなりましたが、その下地が有ったので今後、どのように親に接していけば良いか悩みながらも前向きに過ごせています。
少しだけ振り返る余裕も出来ました。
時々父親の兄になりながらの会話も楽しい物です。
人は誰でも年を取ります。
そしていつの間にか介護される立場になっているのでしょう。
今を楽しく懸命に生きていきましょう。

